2008年10月31日金曜日

雪の匂い


10月も終わりですね… だんだんと寒くなってきました。

おとつい、買い物に外に出ると、ふ~っと頬をつたう風が鼻をくすぐり、雪の匂いがしてくるのです。
私は、雪国に生まれましたから、雪の匂いが敏感にわかるんです。

「あ~、立山連峰に、雪が降ったんだな~」
と思っていると、車のなかで聞いていたラジオで、立山に雪が積もったと伝えていました。

標高3000メートルの山の上で降った雪の匂いを、風が運んでくれて、私たちに季節感を感じさせてくれる。
私のふるさと、富山はいい所ですよ。
(写真はイメージです。富山湾からの立山連峰)

日陰の稚樹に、太陽の光と未来を

先日、地域の森の再生事業ボランティアに参加してきました。
近年、木喰い虫や気候変動によって森が失われてきています。道路などの建設事業によっても失われてきています。
美味しい空気。美味しい水。森の力は、人間が生きていく上でも、とても重要なものです。
それに、地球は人間だけのものではなく、動物たちや、植物、虫たちのものでもありますよね。
だから、森を大切にしていきたい。

森のなかを歩くと、日陰で細々と立つ若木が、結構たくさんあるんです。
山もみじやコナラ、ミズナラ、ヤマツツジ。まだ、稚樹と呼ばれる、木の赤ちゃんです。

でも、稚樹たちの運命は、儚く悲しいものなんです。

森の木々は、いつか老いて倒れてしまいます。もしかすると雷にうたれて燃えてしまうかも。人によって切り倒されるかも。虫や動物たちに食べられたり、菌がついて病気になって死んでしまうかも。

でも森は、ちゃんとそんな時のために備えて、木の赤ちゃんを生んでいるんです。
ところが、森の大木たちが元気に立っているうちは、その木の赤ちゃんは、太陽の光が足りず、枯れていってしまうのです。

森は、『もしも』のために稚樹を産み続けます。稚樹は、その日のために、死んで、そしてまた生まれる。
森の新旧交代は、長い地球の時間で行われますが、森の下木たちは、そういった生と死という営みを、小さく繰り返しているのです。

人間は、森を壊しつづけてきました。これからは、森を必要とする場所に、人工的に木を植えていってあげなくてはならない時代となったのです。

だから、本来、日の目を見ることがなく、大木の影でひっそりと枯れていく運命だった稚樹たちも、私たちの手で、太陽の下に出して、大きく育ててあげて、植林をし、その若木に未来の地球をゆだねたいのです。

「日陰の稚樹に、太陽の光と未来を」そんな思いを込めて、森のなかの稚樹を掘り起こし、育樹用の場所に移してきました。
これからも、森再生ボランティアをしていきたいと思っています。

2008年10月30日木曜日

関さんの森

千葉県松戸市にある里山「関さんの森」は、地権者、関さんの『将来の子どもたちのためにこの森を残したい』という優しい思いで、市民の憩いの場、子供たちの環境学習の場として開放されてきたそうです。
ところが、松戸市は、都市計画道路(横須賀・紙敷線)の直線道路建設のために、森を強制収用し分断しようとしています。

テレビで、市役人の立ち入り測量の様子を放映していました。
そこで映しだされていたのは、市側の横暴な態度でした。関さん側の返答を無視して、立ち入り測量をする通知を一方的に読み上げ、ずたずたと、敷地内に入っていく。
市職員は、(言うことを聞かなければ、強制収用することができる)という圧力をかけられる権利を傘に、まるで我がモノ顔でした。まるで、脅迫のようですね…。

市職員は、市民のために働いているのですから、まずは、市民の声を聞くべきなのではないでしょうか?
それなのに、市職員は、一方的に無視。それどころか、とても偉そう。

「子供たちのために森を残したい」そんな関さんの優しい心が、踏みにじられているようで、酷く悲しくなりました。
森は大切です。一度失われた森を再生するには、とてつもない時間がかかります。
関さんの森を、子供たちのために一生懸命に守っている方々、遠くからですが、応援させていただきます。
がんばってください。

関さんの森を守る署名は、インターネットからでもできます。
http://sekisan-no-mori.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-be34.html

世界遺産


 
私がまだ小さい頃、写真のような合掌づくりの民宿は、安く泊まることができました。囲炉裏のそばで、トランプをして大広間の畳の部屋で走りまわった記憶があります。
でも、合掌の村が世界遺産になってからは、高級宿になってしまい、なかなか泊まることができなくなってしまいました。
先日、久しぶりに合掌の村を訪ねると、大きな観光バスが何台もやってきて、大きな駐車場が作られていて、係員が立っていました。
お土産屋も立ち並び、もはや、小さい頃の素朴な里山の合掌村の面影がありません。

世界遺産は、保護を目的としているはずなのですが、日本人は、世界遺産を観光産業のチャンスにしてしまいます。
観光客のために、大きな道路が敷かれ、観光バスのために、大きな駐車場を作り、お土産屋が立ち並ぶ。
そんな風景にしてしまって、本来、世界遺産の保護という目的が果たせたのでしょうか?

もう一度、子供の頃に体験したような、山里の合掌造りの家に泊まってみたい。

赤蕎麦の花










蕎麦畑を見てきました。
本来、蕎麦は小さな白い花をつけるのですが、畑を見ると、びっくり!二色!
今回、はじめて赤蕎麦の花を見ました! とても綺麗でした。蕎麦の花って、可愛いね。
最近、赤蕎麦は、蕎麦通の間で流行っているそうですよ。

立山連峰


晴天の日、思い立って立山に行ってきました。
すでに紅葉は終わっていましたが、冬を迎えようとする山の風景もいいものです。
平野部では、この秋一番の晴天の日でしたが、山に登ってみると、霧が降りてきて、ときどき景色を隠してしまいました。
でも、真っ白い霧に囲まれると、心が神秘のベールに包まれるようで、ひんやりとした空気が体をひき締めてくれます。
立山には、立山曼荼羅にも書かれている、地獄があります。
地獄谷という、高温の温泉が湧き出て、地面がぶくぶくと煮だっている場所があるんです。そこに向かうには、長い地獄の階段を下りて行かなければなりません。
ここは、降りも登りもきつかったです。足がガクガクになってしまいました。でも、不思議なパワーを得られるような気がしますね。こんなところに来ると、地球って素晴らしいー!って、本当に思いますね。

どんぐりDNA

 この季節、私ができることは?と考えて、久しぶりに、どんぐり拾いをしました。
 今まで、どんぐり拾いといえば、働いていた牧場の豚の餌として拾っていたんです。どんぐりを食べて育った豚は、とても美味しいんです。東京では、イベリコ豚が流行っているそうですが、イベリコ豚もどんぐりを食べさせて育てる豚だそうです。
 でも今回は、森の再生のために、拾ってきました。
 
 現代、私たちには、美味しい食べ物がたくさんありますから、どんぐりを拾って食べることはありません。 でも、縄文時代までさかのぼると、どんぐりは、人々の主食だったそうです。森の動物たちにとっても、大切な食料でした。もちろん、虫たちにも。 さらにさかのぼると、人がまだ、猿だった頃から食べていたものなのです。
 
 長い地球の年月のなかで、どんぐりの森は、さまざまな命を支え育んできました。でも今は、そんな森の生態系を支えられるような森が、少なくなってきているといいます。

 私のなかには、人がまだ猿だった頃から、どんぐりのお世話になっていた感謝の気持ちのDNAが眠っているようで、どんぐり集めをしていると楽しくなってきます。 これからも、森の再生のお手伝いがしたいという気持ちが強くなりました。
 
 小さなことですが、今の季節、『私ができること』・・・です。
 
(集めたどんぐりを、森林管理、植樹などをする団体で引き取ってもらえば、代わりに育樹してくれます)

2008年10月27日月曜日

新ブログをよろしくお願いします。

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(タイトル写真:アラスカ在住でアラスカの四季を撮影されている植山さんより頂いた写真を使わせていただいております。とてもいい写真をお撮りになっておられます。)