いいドキュメンタリーを見ました。
バンクーバー島の北、ヌートカサウンドの中で、群れと離れてしまったシャチの子供の話です。
私は、このヌートカサウンドの海に行ったことがあるのですが、こんなドラマがあったとは知りませんでした。本当にあった話です。
簡単に説明しますね。
群れから離れてしまったシャチ(ルナ)は、一人ぼっちになって寂しさのあまり、人間や船と友だちになりたがりました、けれど、そのルナに関わるまわりの人間たちは、(時には勝手な)解釈で複雑に絡んでいきます。
カナダ水産省
(一番上から権限を持って、ルナに触れたり交流する者に重い罰則を課して、人間と野生動物との距離を離すよう勧告します。住民のルナを群れに戻して、助けたいという支援も許可しません。ダメダメの一点張りで、結局、一番権限を行使しながら対策を奉じませんでした)
海洋生物学者
(人間の友情や愛など、シャチの幸せではないと主張。政府へのアドバイザー、でも、学者がいつも正しいとは、限りません)
地元住民(水産省の勧告に従いながらも、一人ぼっちで可哀想、友だちになってあげるべきと主張。無視すればするほど、人間や船に寄ってきて逆効果だと主張。実際、人の傍にいると安心するのか、大人しかったのです。富裕層が資金を寄付して、群れに戻す計画を立てるが、政府から許可されません)
地元ネイティブ(インディアン)
(迷い込んだこのシャチは、死んだ仲間の生まれかわり、野生動物は、先祖という信仰によって、独自の意見を主張。政府が水族館に売ってしまわないよう、政府側と対立します。人と触れ合うことで、シャチが、どんな死に方をしようと、それは、すべて運命と主張)
地元住民反対派(船のスクリューなどを壊され、機会があれば、銃で撃ち殺してしまえと思っている)
役人というもの。科学者というもの、。ネイティブというもの。人間というもの。
人と野生動物との間に、友情を持っていいのか?どうなのか?
それらを考えさせられるドキュメンタリーです。是非機会があれば、見てください。
結局、ルナは、タグボートのスクリューに巻き込まれて死んでしまいます。
人間との距離を破った者の罰であるかのように。
でも、今の世の中、それも『自然死』と捉えなければならないのかもしれません。人間の犠牲になって命を落としている野生動物は、数え切れませんから、海も山も・・・。
考えさせられます・・・。
リンクしておきます。
◆Movie
◆Saving Luna HP
4 件のコメント:
ネイティブの意見がどういうのか知りませんが、地元住民以外の意見が正しいと思います。
ちょっと説明足らずだったので、付け加えておきました。
住民のなかに、ルナを群れに(外洋まで)戻すための資金と船を提供するという人がいたのですが、これを水産省は、「群れに戻しても、仲間に受け入れられなかったら、仲間に噛み殺されて死んでしまう」という理由で、最後まで許可しなかったんです。
その裏には、本来、政府がすべきことを、お金持ちにされてしまうと、政府側の面子が立たないという、役人らしい理由もありました。といって、政府には、ルナに投じる資金がなかったのです。
ネイティブたちは、人と触れ合うのも、そしてそれによって無残な死に方をしようと、それは、シャチの運命だと、政府や住民たちが、やいや、やいやと言っているのを、また違った角度から見ていました。
今思えば、政府が、群れに戻す計画を許可していれば、きっとそのシャチの子は、仲間から船に近づかないように、教わることができたかもしれない・・・。
(それも、ネイティブの人たちにすれば、ここにいたいものは、いさせてやれ、という意見。政府と住民、ネイティブは、三つと巴の状態だったのです。
カナダ近海のシャチには、すべてコードネームと番号が付けられていて、水産省の管理下にあるそうです。はぐれた群れが分かるのだったら、この駆引きをやってみてもよかったのでは?とも思います。それで、噛み殺されれば、それも自然です。
船にぶつかって、死ぬのも運命。水族館に売り飛ばされるのも運命。
ただ、最後にこのシャチが、カヤックなどに近づいて、人を死なせるまえに、死んでくれて、本当はみんなホッとしたのだと思います。特に、水産省も科学者も、そして船を航行する側も・・・。
自然の掟を教わる母親や仲間たちから離れてしまったとき、すでにこの子シャチの運命は決まっていたのでしょうね・・・。
ただ、人間と友だちになりたかっただけなのに・・・。
と、言われると、胸が苦しくなります。
うん。 なんでも身近に接するとそれぞれの思い入れが生まれてくるものだとはおもいますが。 機会あれば映画みてみたいです。 でも昨夜のBS 放送の“赤ひげ”はよかった。
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