昨日、テレ朝のドキュメント、 『それでも、ぼくらはやってない~親と子の闘い3000日~』を見ましたが、胸が苦しくなりましたね~。自分のことのように、くやしくてたまらない思いになりました。
これは、『御殿場事件』(2001年9月に発生したと思われる集団強姦未遂事件)の容疑者として逮捕された少年たちを追ったドキュメンタリーですが、少年達は、どうやら無罪なんです・・・。
ことのはじまりは、一人の女子高校生の嘘?からはじまりました。9月16日、少女は、帰りが遅いと叱られた親に「帰り道で強姦されたから、遅くなった」と言い訳。そして、その親によって被害届が出されました。 警察は、被害者(女子高生)の同級生とその友人たち10人を逮捕。(しかし、物的証拠も、目撃者もいません)(後に、誘導尋問され、自白を強要されたことがわかる)
「身に覚えのないことだから、すぐに帰る」と親に言い残したまま、帰ってこない子供たちに、親たちは、必死で少年たちのアリバイ探しをします。(本来、警察がやること) すると、少年たちのアリバイが証明されました。バイトに出ていて、タイムカードが押されていたんです。 しかも、女子高生の携帯電話の通話記録から、その時間、出会い系サイトで知り合った男性と会っていたことが判明。その彼に、「帰りが遅くなった理由に、親には、強姦されたと言い訳する」と言っていたことも判明するのです。 そして、被害者は、「確かに、嘘をついていました・・・。」と告白しました。
ところが、それで終わらなかったのです。法廷で彼女は、「日にちが、間違っていました。9月9日でした」と言う。
本来、今まで嘘をついていた人の、次の言葉など信用できません。(出会い系サイトで遊んでいる子ですよ、本当だったら、信用するにも注意深くなりますよね?) そして、誰もが、被害者の嘘に、裁判は振り出しに戻ると思うところですが、裁判長はあっさりと、なんの調査もなしに日付の変更を認めて裁判を続行してしまうのです。 結局、日にちが経ち過ぎていることから、9月9日の少年たちのアリバイは証明できず、そこで、着眼したのが、その日の天気でした。 暴行を受けた時、被害者は「雨は降っておらず、衣服は濡れていない」と言っていたのです。その日の天候を調べてみると、なんと、その日は、台風15号の接近により、かなりの降雨と風。
しかし、検察側は、「雨は、場所によって、降らない所もある」と主張。(気象データーにおいても、犯行現場は、雲が切れずに雨雲の下でした) 当時犯行現場近くで、交通事故を起こした男性の保険書類にも、雨と記載されていていました。
ところが! またもあっさりと裁判長は、その検察側の主張を認めてしまいます。(犯行現場だけ、台風の雨風が無かったことになるのです)
そして、少年たちは、『有罪』。上告しますが、最高裁で棄却。門前払い。
結局、その女子高生の嘘かもしれない、本当は無かったかもしれない事件に、少年たちは、服役することになったのです。 少年たちは、テレビで実名と顔を出しました。相当の覚悟がなければできないことです。その覚悟を思うと、本当に無実だと思いますね。
こんな、裁判は、ありえない。
確実な証拠も無いまま、どうして、人を裁くことができるのでしょう?
少年たちの人生よりも、結局、警察も司法もお役人ですから、「警察が間違って逮捕したなど、絶対に認めてはならん!」という対面だけが通されたのではないでしょうか?
(ちなみに、我が県、富山県警も冤罪を出しました。警察官による自白の強要、内容の改ざんがあったのです。調査を担当した捜査官は、天下り先に有利だからと検挙率、点数のために、無理な捜査をしたと言われています。しかし、この警察側の過ちに対しては、誰も、裁かれていません)
(この事件、興味がありましたら、『御殿場事件』で検索すれば、結構出てきます)
さて、ベランダのスイカですが、第一雌花を切りました。こちらの方も胸が痛みましたが、蔓がまだ30センチと、成長不良なので、仕方ありません・・・。切ってみると、もうスイカの形をしていました。(次の雌花が出てくれますように・・・)
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