2010年11月13日土曜日

お手紙

作家の椎名さんから、お手紙をいただきました!とっても嬉しいので、「ももんがあ」の部分を添付します。やっぱり作家さんですね、原稿用紙に書かれた、味のある字で、ん~、私もこれからお手紙を書くときは、原稿用紙を使いたいと思ってしまいました。

さて、9月のことですが、お台場で開かれた旅行博、アラスカの友人が、アラスカ観光局に勤めていて、アラスカの宣伝のために来日。奥さんとは、焚き火仲間で、この夏も星野さんのキャビンの庭先で火を囲み一杯。という訳で、友人夫妻に会うのも兼ねて旅行博に行きました。
この日のイベントで、椎名さんのトークショーが開かれていて、私も、ちょこんと座って聞いていたのですが、モンゴルの馬の話など、面白かったですよ。
私もカナダで馬に乗っていましたが、モンゴルの馬は乗ったことがありません。走るリズムが違うそうで、かなり尻が痛いそうです。
私がはじめて馬に乗ったのは、アリゾナの砂漠です。カウボーイと一緒にトレイルライドをしたのですが、そのあと、お尻がアザだらけになり、椅子に座れなくなってしまいました。5日ほど、立って食事をしなければならなかったくらいです。男の人は、特に痛いでしょうね・・・。想像ですが。

椎名さんの本『岳物語』は、私の中学生くらいの頃の思い出の本でもあります。実は、そのころの私は、本のなかの岳くんに似ているかも?っと思うくらい、共感していました。今思うと笑ってしまいます。

という訳で、大先輩からのお手紙で、がんばろ~っと思ったしだいです。これからも、みなさん、よろしくお願いします。

あいかわらず、接写のできないカメラを使ってます。ボケてますね~。

2010年11月8日月曜日

シンプルライフ

次は、日系人部隊のことを書こうと思いましたが、前文で思いを込めているので、次に進むことにしました。
さて、写真はアラスカの森の中のキャビン。
よく、ユーコンストーブと呼ばれる、ストーブの上に平らな鉄板があって調理ができるストーブです。(丸いドラムを半分切って作られることが多いです)

私は、小さなスペースの、シンプルな生活に憧れています。物は、最低限の物だけ。不便は、工夫で補う。そんな生活が、アラスカには残ってます。

それこそ、強制収容所の生活のようなものだと、言われるかもしれませんが、今の時代、物がありすぎて、かえって、面白くありません。

時代の中で、もっとも人間にとって面白かった時代は、戦後の何もないところから、物をつくり、工夫して発展させてきた、ブラウン管、白黒の時代だったのではないでしょうか?

飽和状態の今の社会、何もない時代より、生きにくい時代になっているのでは?

2010年11月7日日曜日

日系人たちの血のにじる苦労・・・

TBS局でやっている、アメリカに渡った日本人たちを描いたドラマ、『ジャパニーズアメリカンズ』。涙、涙で、見ています。
私は、カナダの牧場で働いていた頃、戦前に開拓移民した日系の人たちの苦労話しを、よく聞きました。本当に、大変な時代を生き抜いてこられた人たちです。

牧場のお婆ちゃんは、白人なのですが、子供の頃、日本人の女の子の友だちがいたそうです。開拓移民家族の子で、戦争によって、その子は収容所に行くことになってしまいました。それ以来、会っていないそうです。
でも、お婆ちゃんにとって、そういう経験が、後に人種差別をすることなく育つことになり、晩年になって、私のことを、受け入れてくれることにもなったのです。

私は、カナダにいる間、カムループスの日系コミュニティーの人たちと交流を持つことになり、盆踊りクラブや、日本語教室に参加させてもらうようになりました。
日系三世ともなると、日本語も話せない人が多いですし、すでに国籍もカナダです。ですが、心だけは、日本人であろうとする気持ちがとても強く、日本の行事や伝統、日本の食文化をとても大切にしていました。

私が一番、感動したのは、年越し蕎麦を食べに来なさいと言われ、日系コミュニティーに行ったときのことです。年が変わろうとする一時間ほど前、彼らは、戦没した日系移民の人たちや、自分の先祖のために、お経をあげていました。そのあと、年越し蕎麦が配られました。しかし、それは蕎麦ではなく、うどんに、ブロッコリーを入れたものだったのです。
「日本と同じものは作れないけど・・・これが、私たちの年越し蕎麦よ」と、渡されたその年越し蕎麦を食べたとき、日本に行ったこともなければ、日本語も話せない彼らの、本当に日本人でありたいという強い思いが伝わってきました。

このドラマは、私がカナダで聞いたことと、ほとんど同じです。さすが、橋田壽賀子さんの脚本。日系日本人たちの、血のにじる思いが、伝わってくるセリフが多いと思いました。

私が、カナダの牧場で働けたのも、カナダで問題なく暮らすことができたのも、日系の人たちが、涙を流し、血を流しながら、日本人が差別されない未来を築いてくれたお陰と思っています。
興味があったら、見てみてください。今夜、最終回です。


次は、本当に、日本人の凄さを国際的に知らしめた、日系人部隊のことを書きます。今の時代、どの国に行っても、日本人は、馬鹿にされません。その礎には、多くの犠牲がありました。


2010年11月2日火曜日

チェプケリ

アイヌの人たちのブーツ、チェプケリ。(プは小文字だそうですが、タイプできませんでした)
鮭の皮で出来ています。これを見たら、生唾がでちゃった。
というのも、ユーコン川を下ったときに、よく川沿いのネイティブの村で、鮭の燻製をもらいました。ネイティブの人たちも、声を揃えるように言うのですが、鮭の皮は、とっても美味しいんです。スモークされたものは、特に珍味ですよ。口の中で、時間をかけて噛みほぐすと、いい味がでますよ~。

なので、このブーツを見て、ついつい、生唾出ちゃったというわけ。でも、私、そんなに食いしん坊ではないですよ~。


それにしても、アイヌの人たちの文化も素晴らしい・・・。


2010年11月1日月曜日

マキリ

カナダの牧場で働いていた頃、ナイフは、仕事の必需品でした。牧場内のどの場所においても、何かを切ることが多かったのです。
けれど私は、男性のように、ナイフを腰につけるのには、ちょっと抵抗があって、(それこそ、男っぽいなどと言われそうで・・・)自分のナイフを持っていませんでした。子供の頃のトラウマですね~。

カナダの牧場の女性は、颯爽とナイフを腰につけている人もいて、カッコ良いいのですが、日本とカナダの文化の差ですね・・・。カナダには、アウトドアな女性や、ナイフを腰につける女性を、「男みたい」なんて言ったりしません。

ナイフを持たず、ハサミを取りによく走る私に、牧場のお婆ちゃんが、クリスマスプレゼントをくれました。
それは、ホームセンターで売っている、お買い得用のいろんなカッターの一式でした。
実は、カッターのほうが、牧場の作業がしやすいので、ナイフより、カッターを選んだのでしょう。おかげで、各場所にカッターを置いて、持ち運ばなくてもよくなりました。

それから、しばらくして、自分のナイフを持つことにしました。その切っ掛けが、ユーコン川の川下りです。
カヌーを舫うロープを、緊急時に、さっと切れるように、大きなナイフを買いました。それと、今も、どこへ行くにも持っていくツールナイフ。ツールナイフは、自動車の故障のときにも、大活躍しました。

と、いうことで、ナイフ一本、あるのとないのでは、大違い。安心感を与えてくれます。

先ごろ、アイヌの人たちの文化を見学に行ってきましたが、そこでも、やはり目をひくのは、マキリです。
木の鞘にデザインされた模様も美しい・・・。

こんなの、自分で作ってみたい・・・と、思いました。


もしも、本当に前世というものがあったら、私は、こういうナイフを腰につけて、森を駆け回っていたかもしれませんね。