クリスマスケーキ食べました!
ケーキとイチゴが別にされているため、自分でデコレーション。
デコレーションのタイトルは、
「燃える炎の中のサンタとルドルフ」
イチゴを炎に見立てました。
なぜ?と思うでしょう?それはですね~。
雪の中でのキャンプファイヤーの楽しさを思い出したからです。
冬は、やっぱり!焚き火ですよ!
と言っても、このサンタは炎に包まれているので、キャンプファイヤーと言うより、ボンファイヤーを背にしたサンタですね~。
ボンファイヤーも冬の楽しみの一つ。でも、日本ではできませんね~。
二日続けてケーキを食べちゃった。ちなみに今日の朝食もケーキです。
2009年12月25日金曜日
2009年12月24日木曜日
2009年12月21日月曜日
名刺
2009年12月19日土曜日
2009年12月16日水曜日
初雪
東京から帰ってきました!それに富山にも雪が降りましたよ!東北や北海道は、とっくに降っているよ!と言うかもしれませんが、冬ですね~。
そう言えば、写真を整理していて見つけた写真です。アラスカ、フェアバンクスで毎年2月に行われる氷の彫刻のお祭り。ここで毎年優勝をさらうのが、日本の有名な彫刻師。この蟹がそうなのですが、この爪にしても、リアル過ぎる。ホント、この人の作品って、凄いんですよね。
モンゴルから参加の青年は、モンゴル馬の親子を彫っていました。素朴で私は好きでしたね。
この氷の祭典、湖から切ってきた自然の氷を彫ることができるということで、彫刻家には大人気。作品のレベルが凄く高いので、是非ともお薦めなのですが、なにせ、遠いですよね~。
私も彫ってみたい!ちゅーとハンパな寒さには、めっぽう弱いけど、ガンガンに寒いと、かえって寒さを感じさせないんですよね。そんな寒さが好きですね~。
富山は、雨。雪は、全部なくなってしまいました・・・。
写真はクリックすると、大きくなります。
2009年12月5日土曜日
昇り龍
2009年11月28日土曜日
崔監督と
帝国ホテルの地下のバーで、二次会がありました。
現在放映されている、『カムイ伝』の崔監督と。
「お~、まさき、元気だったか?」と名前で呼んでくださるのが、とても嬉しかったですね~。
最初は、怖い人かと思っていましたが、大陸のように大きくあたたかい心で、とても優しい人です。
寄らば大樹の陰で、寄り添ってしまいそうです。写真を撮ってくださったのが、写真家の平賀じゅんさん。アルピニストの野口健さんが登山される時に、一緒に山に登り、野口さんの写真を撮られる方です。来週か ら、ブルガリア、トルコを走る間寛平さんの写真を撮りに行かれるそうです。(いいな~、私、小学生の頃から、かんぺいちゃんが大好きだった)
現在放映されている、『カムイ伝』の崔監督と。
「お~、まさき、元気だったか?」と名前で呼んでくださるのが、とても嬉しかったですね~。
最初は、怖い人かと思っていましたが、大陸のように大きくあたたかい心で、とても優しい人です。
寄らば大樹の陰で、寄り添ってしまいそうです。写真を撮ってくださったのが、写真家の平賀じゅんさん。アルピニストの野口健さんが登山される時に、一緒に山に登り、野口さんの写真を撮られる方です。来週か ら、ブルガリア、トルコを走る間寛平さんの写真を撮りに行かれるそうです。(いいな~、私、小学生の頃から、かんぺいちゃんが大好きだった)
写真家さんなのに、ちょっとブレているのは、お酒のせいです。みんな、顔が真っ赤だったものね。
2009年11月24日火曜日
一流の食事
集英社四賞の贈賞式の後に行われる立食パーティーの風景です。各界の錚々たる顔があちらこちらに見えます。出される料理は、日本でも一流を誇るシェフたちと、高級食材ばかり。
でもいつも、そんなに食べられないんですよね~。この場所にくると、胸がいっぱいで・・・。
それに、ここで出される料理の種類を全部食べるには、10年はかかりそう。たくさんあるんです。
今回食べたのは、寿司と、鰻の蒸篭と、ローストビーフと、アセロラジュースだけでした。
いろんな方にご挨拶もしたいので、ワインに手が伸びそうになりましたが、ジュースにしておきました。すぐに顔が真っ赤になっちゃうので・・・。でも、酔ってステキな作家さんに、ヨロけてみるのも、アリかも?
来年もまた、帝国ホテルのパーティーにお呼ばれしてもらえるように、不肖まさき、頑張って原稿を書きます!
2009年11月22日日曜日
女流作家
今年の柴田賞は、篠田先生と、村山先生です。いつも受賞される女性作家さんを見て思うのですが、やはり、貫禄と言うか、オーラがあると言うか、何よりも、美しい。
女流作家さんというのは、綺麗な人が多いですね。
特に、村山先生には、お宅に泊めさせていただいて、お世話になったことがあるのですが、朝はピアニストのように、ピアノをひかれて、それも、ホールのように響くものだから、うっとりしました。
文才だけではなく、音楽の才能もあって、それでいて、美人でいらしゃるから、こんなにもたくさん、神様もらって生まれてきた方を、他に知りません。
今回は、お着物をびしっときめて、マスコミも囲む壇上で、こう仰られました。
「私は、刺青を入れました」「これは、覚悟です」と。
女流作家の道は、いわゆる、玄人な世界。だから、その覚悟を決めました。と。
みんな、息を飲みました・・・。
覚悟か~。そうなんです、この世界は、覚悟がいるんですよね・・・。
2009年11月18日水曜日
さすが、大御所です。
先日、帝国ホテルで行われた出版社の祝賀パーティーに行ってきました。毎年参加させていただいているのですが、写真を撮るのは久しぶりなので、ブログにちょっとだけアップします。
まず、柴田賞の選考委員を代表して、女流作家の大御所、林先生のお話。ユーモアのあるスピーチで、笑いがいっぱい。さすが!と思いました。
以前、東京、山の上ホテルに泊めてもらったとき、「このホテルに缶詰にされたとき、はじめて作家になったという実感が湧いて、嬉しくてたまりませんでした」と、林先生が仰っていたというのを聞かされ、感慨深く、そのホテルに泊まったことがあります。
今回、遠目ながら、ひと目お会いできたのが嬉しかったです。
(公人の方なので、写真を載せました)
また、つづきを書きますね。
まず、柴田賞の選考委員を代表して、女流作家の大御所、林先生のお話。ユーモアのあるスピーチで、笑いがいっぱい。さすが!と思いました。
以前、東京、山の上ホテルに泊めてもらったとき、「このホテルに缶詰にされたとき、はじめて作家になったという実感が湧いて、嬉しくてたまりませんでした」と、林先生が仰っていたというのを聞かされ、感慨深く、そのホテルに泊まったことがあります。
今回、遠目ながら、ひと目お会いできたのが嬉しかったです。
(公人の方なので、写真を載せました)
また、つづきを書きますね。
2009年11月15日日曜日
モンブランのペン
最近、多種書類を書くのに使い出したモンブランのペン。
これは、開高健さんの愛用のものと同じものを、開高健記念館から頂いたものなのですが、筆質が極太で、力を入れてゆっくりと書かないと、インクが落ちません。
日頃、せかせかと急ぐように生きている私には、この「ゆっくりと書く」という行為が、どうにもジレンマ。ささっと書きたいのに、ささっと書くと、紙を傷つけるばかりなんです。
けれど、ふと立ち止まるように、筆を止め、ゆっくり足を出して歩くように、筆を流すことも大切ですね。
いつも、パソコンのタイピングばかりの私ですが、こんなペンを持つ時間もいいものです。
2009年11月11日水曜日
広島
広島に立ち寄りました。
ちょうど、知事選真っ只中で、彼らのマニュフェストを聞く機会がありました。
その中に、ピカリと光る人がいて。
私は、他県ながらその人を応援していたんです。今日、ネットで調べてみると、当選していました。ゆざきさんという若手です。他県民ながら、よかった。よかった。とホッとしました。
ピカリと光ったマニュフェストの一つに、他の候補者たちが、自動車産業を招致するなどと言っている中で、彼は、平和活動をするNGO団体の事務所を招致すると言っていたんです。
もう、今は、自動車産業の時代ではありません。広島は、昔から工業地帯のようなもので、戦時中も造船や武器工場がたくさんありました。だから、原爆の投下目標にもなってしまいました(その他様々な理由もありますが)。 広島が、これ以上、工業化するのは、あまり良いことではないような気がしますね・・・。実際行ってみて、分かったのですが、広島も無駄な公共事業の多い県です。たった、7分の短縮のために、空港との間の高速道路を建設中です。それに、鞆の浦の埋め立て問題。
とりあえず、今は、時代の変遷期です。新しい風が吹き荒れるのを望みますね。風が吹いた後は、掃除をしなければなりませんが。
2009年11月9日月曜日
お世話したい病
2009年10月31日土曜日
2009年10月26日月曜日
蟹の季節、至福の時間。
2009年10月23日金曜日
神津島
伊豆諸島の島の一つ、神津島(こうづしま)へ行って来ました。
途中、羽田沖で時間調整をしたり、大島や新島などに寄港して行くので、東京から船で約12時間(帰りは10時間ほど)。調布から飛行機も飛んでいるので、飛行機で行くことも可能。
夏場は海水浴客で賑わっているようですが(石英質の白い砂浜はたいそう美しいです)、季節外れのこの時期は、釣り客がわずかにいる程度。
海がきれいなことは言うまでもなく、透明度は10mを超えている様子(水深8mの海底が見えるくらいだし)。
ウェットスーツを着て波間を漂っていると、人工リーフの間にブダイやイシダイの姿。イセエビもいるらしい。黄色い模様が目立つカニが慌ててリーフの隙間に逃げ込んで行きます(色々写真は撮っているのですが、仕事の関係で残念ながら公開できません)。
ビデオカメラを持って泳いでいると、台風が残していったうねりが身体を変に揺らし、ついには波酔い。船に上がって、寝転がっていると酔いは収まるけれど、作業を始めると再び波酔い。
まさか海の中で酔うとは思わなかった。
遊びだったらとても良かったのだけど、生憎仕事で来ている神津島。磯で素潜りしたり、キャンプしたりはできなかったのが非常に残念。
さて、絶海の孤島かと思っていた神津島、高台に登れば、伊豆の島々が見渡せます。ああ、これだったら、多少の航海術があれば、島から島へ人の移動があったのだな、と思うのです。この島は良質の黒曜石の産地だそうで、日本の各地で神津島産の黒曜石を使った石器が見つかるそう。
高台から見た「長浜」。キャンプ場もあり、夏は海水浴客で賑わっていることでしょう。
この長浜、様々な要因で海岸の砂が流出しているそうで、それを防ぐべく湾口部に人工のリーフ(コンクリートのブロック)を入れています。
手前から向こう側にかけて、海面がうっすらと黒くなっているところがわかるでしょうか?
その部分が人工リーフ。観測機器を設置して人工リーフ付近の流速や波の高さなどを継続的に調査して効果を見ているようですが、ぱっと見は人工リーフの効果はあまり出ていないような感じ。
漁業的には魚やイセエビがリーフについてよい漁場になっているとのこと。
島には港が二つ。前浜と多幸浜。こちらは前浜の漁船用の泊地。通常、定期船は前浜に入港。荒天時には多幸浜に入港するらしいです。
遮るもののない島なので台風のうねりが直接押し寄せてきます。先日の台風でも、防波堤を越えて波が入って来たとのこと。そのため、使用していない漁船は常に漁港のスロープの上に引き上げてあります。
イセエビ、キンメダイ、ブダイ、サザエなどなど、捕れた魚は築地へと出荷されているので、知らず知らずに神津島の魚を食べているかもしれません。
漁法は定置網、釣り、漁師が海に潜ってヤス(銛)で魚を突いて捕る漁など。ヤスの先端部がエスキモーの使っているものと同じ形式なのでちょっと感動したり。
ちなみに一番手前が今回作業に使った船。お世話になりました。
こちらは多幸浜の港のすぐ横に広がる白砂の海岸。
山がそのまま海へと落ち込んでいる絶景の海岸です。おいしい湧き水も湧いています。
向こうに見えている崖の中腹には黒曜石の露頭があるそう。
この崖の上の方、天上山(574m)の頂上付近には「砂漠」や「湿地」があり、この島にしかない植物もあるそうで、ハイキングするのにもとても良いところ。時間があれば是非行きたかったのですが誠に残念。
読み返してみると、聞いたことで自分で確認していないことや「残念」なことの多かった島ですが、静かで魚が上手くて、とても良い島でした。機会があれば、また行ってみたい島です。
最後におまけ。
横浜港入港時の赤レンガ倉庫とランドマークタワー。静かな島から、光と音の溢れている都会に戻って来ました。この風景の方が幻を見ているような感じがしました。
できた当初からこのランドマークタワーが墓石に見えるんですよ。何故か。。。
途中、羽田沖で時間調整をしたり、大島や新島などに寄港して行くので、東京から船で約12時間(帰りは10時間ほど)。調布から飛行機も飛んでいるので、飛行機で行くことも可能。
夏場は海水浴客で賑わっているようですが(石英質の白い砂浜はたいそう美しいです)、季節外れのこの時期は、釣り客がわずかにいる程度。
海がきれいなことは言うまでもなく、透明度は10mを超えている様子(水深8mの海底が見えるくらいだし)。
ウェットスーツを着て波間を漂っていると、人工リーフの間にブダイやイシダイの姿。イセエビもいるらしい。黄色い模様が目立つカニが慌ててリーフの隙間に逃げ込んで行きます(色々写真は撮っているのですが、仕事の関係で残念ながら公開できません)。
ビデオカメラを持って泳いでいると、台風が残していったうねりが身体を変に揺らし、ついには波酔い。船に上がって、寝転がっていると酔いは収まるけれど、作業を始めると再び波酔い。
まさか海の中で酔うとは思わなかった。
遊びだったらとても良かったのだけど、生憎仕事で来ている神津島。磯で素潜りしたり、キャンプしたりはできなかったのが非常に残念。
さて、絶海の孤島かと思っていた神津島、高台に登れば、伊豆の島々が見渡せます。ああ、これだったら、多少の航海術があれば、島から島へ人の移動があったのだな、と思うのです。この島は良質の黒曜石の産地だそうで、日本の各地で神津島産の黒曜石を使った石器が見つかるそう。
高台から見た「長浜」。キャンプ場もあり、夏は海水浴客で賑わっていることでしょう。
この長浜、様々な要因で海岸の砂が流出しているそうで、それを防ぐべく湾口部に人工のリーフ(コンクリートのブロック)を入れています。
手前から向こう側にかけて、海面がうっすらと黒くなっているところがわかるでしょうか?
その部分が人工リーフ。観測機器を設置して人工リーフ付近の流速や波の高さなどを継続的に調査して効果を見ているようですが、ぱっと見は人工リーフの効果はあまり出ていないような感じ。
漁業的には魚やイセエビがリーフについてよい漁場になっているとのこと。
島には港が二つ。前浜と多幸浜。こちらは前浜の漁船用の泊地。通常、定期船は前浜に入港。荒天時には多幸浜に入港するらしいです。
遮るもののない島なので台風のうねりが直接押し寄せてきます。先日の台風でも、防波堤を越えて波が入って来たとのこと。そのため、使用していない漁船は常に漁港のスロープの上に引き上げてあります。
イセエビ、キンメダイ、ブダイ、サザエなどなど、捕れた魚は築地へと出荷されているので、知らず知らずに神津島の魚を食べているかもしれません。
漁法は定置網、釣り、漁師が海に潜ってヤス(銛)で魚を突いて捕る漁など。ヤスの先端部がエスキモーの使っているものと同じ形式なのでちょっと感動したり。
ちなみに一番手前が今回作業に使った船。お世話になりました。
こちらは多幸浜の港のすぐ横に広がる白砂の海岸。
山がそのまま海へと落ち込んでいる絶景の海岸です。おいしい湧き水も湧いています。
向こうに見えている崖の中腹には黒曜石の露頭があるそう。
この崖の上の方、天上山(574m)の頂上付近には「砂漠」や「湿地」があり、この島にしかない植物もあるそうで、ハイキングするのにもとても良いところ。時間があれば是非行きたかったのですが誠に残念。
読み返してみると、聞いたことで自分で確認していないことや「残念」なことの多かった島ですが、静かで魚が上手くて、とても良い島でした。機会があれば、また行ってみたい島です。
最後におまけ。
横浜港入港時の赤レンガ倉庫とランドマークタワー。静かな島から、光と音の溢れている都会に戻って来ました。この風景の方が幻を見ているような感じがしました。
できた当初からこのランドマークタワーが墓石に見えるんですよ。何故か。。。
2009年10月22日木曜日
みんな、見た~?
2009年10月21日水曜日
ラズベリー
今年の春に買ったラズベリーの苗、放っておいても育つ生命力のある植物です。ということで、放ったらかしにしていたのですが、収穫できました。まだ、この周辺の鳥たちには見つかっていないようで、無事、実は育ったようですが、まだまだ少ないです。
でも放ったらかしでも育つというのが、やっぱり面白くないな~。世話したい!!!スイカのときのように世話したいよ~。でも、あのスイカは、世話の焼き過ぎで、美味しく育ちませんでした。
何か、冬でも育つ野菜ないかな~っと本屋で野菜づくりの本を立ち読みしましたが、どれも春を待たないといけないらしい。
何かないかな~???サボテンじゃ~つまんないし。盆栽もな~。誰か、いいアイディアない?
でも放ったらかしでも育つというのが、やっぱり面白くないな~。世話したい!!!スイカのときのように世話したいよ~。でも、あのスイカは、世話の焼き過ぎで、美味しく育ちませんでした。
何か、冬でも育つ野菜ないかな~っと本屋で野菜づくりの本を立ち読みしましたが、どれも春を待たないといけないらしい。
何かないかな~???サボテンじゃ~つまんないし。盆栽もな~。誰か、いいアイディアない?
2009年10月19日月曜日
甘エビ!
甘海老をたくさん頂きました!
昔、この甘海老は、網にかかっても売れないから市場に出せなかったんです。今のようにお店で買うことも、寿司屋に並ぶこともなかったんですよ。
日本海側では、トラックいっぱいの甘エビを、家畜や作物の肥料に回していました。
漁師さんたちは、この甘海老の美味しさを知っていましたが、市場、民間で知られるようになったのは、実は近年のことなんです。
甘海老って、東京の人、知ってるのかな?ま~、知ってるか!でも、甘エビより、もっと大きな輸入海老を食べているイメージがあるな~。ちなみに、富山でしか捕れない白海老も美味しいよ。
この日は、張り切りましたよ。
実は私は、焼き魚と、蟹と、海老の食べ方は、プロフェッショナルですよ。
(ちなみに、魚の食べ方が汚い人がいると、ついつい指導したくなります)
海老の頭、普通は捨てられてしまうものですが、(日本ではカッパ海老せんになっているらしい)海老味噌が甘くてコクがあって、ホントに美味しいよ。
捨てずに、焼いて食べてみてください!
昔、この甘海老は、網にかかっても売れないから市場に出せなかったんです。今のようにお店で買うことも、寿司屋に並ぶこともなかったんですよ。
日本海側では、トラックいっぱいの甘エビを、家畜や作物の肥料に回していました。
漁師さんたちは、この甘海老の美味しさを知っていましたが、市場、民間で知られるようになったのは、実は近年のことなんです。
甘海老って、東京の人、知ってるのかな?ま~、知ってるか!でも、甘エビより、もっと大きな輸入海老を食べているイメージがあるな~。ちなみに、富山でしか捕れない白海老も美味しいよ。
この日は、張り切りましたよ。
甘海老は体が小さいから、身も小さく、殻を剥くのが大変でした。一応、甘エビ丼ですよ。
イクラ丼のように、一面イクラというのが好きではないので、出し巻き卵と、甘く煮た油揚げを添えました。ご飯は今年の新米で酢飯です。旨かった・・・。でも、一番、美味しいのは、甘海老の頭です!!!
塩をまぶして、トースターで焼きました。も~たまらんですよ~。ビールが飲みたくなる!!!(私は禁酒中) 結構、驚きなのですが、海老の頭の食べ方を知らない人が多いんですよね。海老の足を抑えて、ユニコーンのような角を上に引き上げると、ぱかっと海老のヘルメットが取れて、海老味噌が簡単に食べられるんです。
実は私は、焼き魚と、蟹と、海老の食べ方は、プロフェッショナルですよ。
(ちなみに、魚の食べ方が汚い人がいると、ついつい指導したくなります)
海老の頭、普通は捨てられてしまうものですが、(日本ではカッパ海老せんになっているらしい)海老味噌が甘くてコクがあって、ホントに美味しいよ。
捨てずに、焼いて食べてみてください!
2009年10月13日火曜日
カチカチカチ
先日、同級生が結婚しました。
まずは、おめでとう!
いつまでも、助け合うパートナーとして、仲良くやっていって欲しいです。
ところで、私はというと、
最近、感じることは、時計の針が、カチカチ動いていること。
子供の頃は、あれもしたい、これもしたいと、早くその日が来ないかなと、日を追いかけていたけれど、今は、まるで、長ネギを刻み落とすように、時間が刻まれて、消えてしまいます。
話は変わりますが、私の家の向かいにある富山県でも由緒正しいお寺の息子さんが白血病で亡くなりました。品行方正で、こんなにいい人はいないという良識のある人でした。妻も小さな子供もいます。子供の頃から大切に育てられ、住職を継ぎ、将来も期待されていました。
私は、近所ですし、子供の頃、よく遊んでもらいました。
まだ40歳なのに・・・。なぜ?あんなにイイ人が・・・。と、この夏の、ショックでした。
人は、生まれた瞬間から、死に向かって、時計の針がカチカチ動いています。子供の頃や、若い頃はそんなことなど考えませんが、この歳になると、その音が聞こえはじめたようです。
カチカチカチ。
本当に、私は真剣に、生きているのだろうか?
そんなことを思っています。
まずは、おめでとう!
いつまでも、助け合うパートナーとして、仲良くやっていって欲しいです。
ところで、私はというと、
最近、感じることは、時計の針が、カチカチ動いていること。
子供の頃は、あれもしたい、これもしたいと、早くその日が来ないかなと、日を追いかけていたけれど、今は、まるで、長ネギを刻み落とすように、時間が刻まれて、消えてしまいます。
話は変わりますが、私の家の向かいにある富山県でも由緒正しいお寺の息子さんが白血病で亡くなりました。品行方正で、こんなにいい人はいないという良識のある人でした。妻も小さな子供もいます。子供の頃から大切に育てられ、住職を継ぎ、将来も期待されていました。
私は、近所ですし、子供の頃、よく遊んでもらいました。
まだ40歳なのに・・・。なぜ?あんなにイイ人が・・・。と、この夏の、ショックでした。
人は、生まれた瞬間から、死に向かって、時計の針がカチカチ動いています。子供の頃や、若い頃はそんなことなど考えませんが、この歳になると、その音が聞こえはじめたようです。
カチカチカチ。
本当に、私は真剣に、生きているのだろうか?
そんなことを思っています。
2009年10月6日火曜日
日本に帰って来ましたよ~。
朝、目が覚めると、自宅の外からヘリコプターの音。外を覗いてみると、ものものしい。
自衛隊までも!
実は、私のベランダから見える場所で、災害救助訓練が行われていたんです。ご近所さんたちも、みんな出向いて、ダンボールでできた災害用仮設住居の設営や、炊き出しの練習をしていました。
自衛隊は、河川に橋を架ける練習。レスキュー隊は、車から人を救助する練習などなど。
いろんな災害の例を、朝から順に練習を兼ねた、デモンストレーション。私は、ベランダから見学。
インドネシア、スマトラ島では、今、災害に苦しんでいますが、斧と農機しかなくて、救助が困難だそうで・・・。ドラえもんの『どこでもドア』で、この訓練をそっくり、インドネシアに移したい気持ちでした。
幸いにして、富山県は、災害の少ない県ですが、これだけしっかりとした災害救助チームがあるとは、県民として、ほっと、一安心ですね。
自衛隊までも!
実は、私のベランダから見える場所で、災害救助訓練が行われていたんです。ご近所さんたちも、みんな出向いて、ダンボールでできた災害用仮設住居の設営や、炊き出しの練習をしていました。
自衛隊は、河川に橋を架ける練習。レスキュー隊は、車から人を救助する練習などなど。
いろんな災害の例を、朝から順に練習を兼ねた、デモンストレーション。私は、ベランダから見学。
インドネシア、スマトラ島では、今、災害に苦しんでいますが、斧と農機しかなくて、救助が困難だそうで・・・。ドラえもんの『どこでもドア』で、この訓練をそっくり、インドネシアに移したい気持ちでした。
幸いにして、富山県は、災害の少ない県ですが、これだけしっかりとした災害救助チームがあるとは、県民として、ほっと、一安心ですね。
2009年10月2日金曜日
クロアチアのホームメイド・ワイン
クロアチアでは、ちょうど家庭でワインを作る季節。ぶどう畑から大量のぶどうが運ばれ、街の裏の市場で売られます。
買いに来る人は、大きな袋にたくさん詰めて、なん袋も買っていきます。どこの家にも、ワイン用の樽があって、ぶどうを詰めて、発酵させて、二週間ほどでできるそうです。
このぶどうの季節は特に、二週間ほどで樽から出した若いワインを飲みます。とてもフルーティーで美味しいです。
ぶどうについてですが、日本人は、「ぶどうを食べるとき、皮をむくんだよ」と、言ったら、クロアチアの人たちからブーイング。「皮が、一番、栄養(ポリフェノール)があるんだよ!」
しかも、種も噛み潰しで食べます。お腹に良いんだって。
確かに、日本人は、丁寧にぶどうの皮をむきますが、皮も美味しいですよね。食べてみて。
買いに来る人は、大きな袋にたくさん詰めて、なん袋も買っていきます。どこの家にも、ワイン用の樽があって、ぶどうを詰めて、発酵させて、二週間ほどでできるそうです。
このぶどうの季節は特に、二週間ほどで樽から出した若いワインを飲みます。とてもフルーティーで美味しいです。
ぶどうについてですが、日本人は、「ぶどうを食べるとき、皮をむくんだよ」と、言ったら、クロアチアの人たちからブーイング。「皮が、一番、栄養(ポリフェノール)があるんだよ!」
しかも、種も噛み潰しで食べます。お腹に良いんだって。
確かに、日本人は、丁寧にぶどうの皮をむきますが、皮も美味しいですよね。食べてみて。
2009年9月24日木曜日
伊能忠敬記念館
伊能忠敬記念館へ行って来ました。
徒歩で精密な日本地図を作製した、あの伊能忠敬の記念館です。
さすがに東京から徒歩で行くと、何日かかるかわからないので(体力に自身無し)、利根川のサイクリングロードを使って、自転車で行ってみました(折りたたみ自転車ですが、結構走ってくれます)。
朝5時半に家を出て、都内で道に迷いまくり、記念館のある千葉県香取市佐原に着いたのは、夕方4時半。記念館は4時半に閉館。
撮影場所は利根川の河口からちょうど40キロの場所。ここまで自宅から150キロほど。
とりあえず河川敷の公園で1泊して、翌朝記念館へ。
撮影場所は利根川の河口からちょうど40キロの場所。ここまで自宅から150キロほど。
とりあえず河川敷の公園で1泊して、翌朝記念館へ。
伊能忠敬記念館、小さな記念館ですが、解説を詳細に読んでいると、すべて見るのに2時間近く。
伊能図の本物がすべてそろっている訳ではないですが(あちこちの博物館などに散在しています)、当時の道具類、下図、文献などが展示されています。
隠居をしてから始めた地図作り、現在の測量器具と比較すると貧弱な道具で、あれだけの地図を作った技術、知識に対する好奇心、改めてすごい人だと感じました。
写真は伊能忠敬の住んでいた家。土蔵を利用した重厚な作り。昭和になるまで伊能家の人たちが住んでいたそう。古い日本の建物っていいですよね。
隠居をしてから始めた地図作り、現在の測量器具と比較すると貧弱な道具で、あれだけの地図を作った技術、知識に対する好奇心、改めてすごい人だと感じました。
伊能忠敬の家の、川を挟んだ向かい側に記念館があります。
こんな感じで、江戸後期から明治初期の古い建物が残っており、その古い建物でお店を営業していたり、なかなか雰囲気のある、いい町でした。
ドジョウやフナ、川エビの串焼きなど、町中で川魚料理が食べられるのもよいところ。
帰りは途中でだいぶ膝が弱って来たので(運動不足のため)、電車に乗って帰宅。
2009年9月23日水曜日
現在、クロアチアにいます。
クロアチアといえば、90年代、内戦をしていた旧ユーゴスラビアです。私は、以前、オーストラリアに難民移民したセルビア人、カナダに難民移民したクロアチア人、そして、国連の兵士としてボスニアに駐留(同期の兵士は皆、銃弾で亡くなったそうです)したオランダ人の友人がいました。彼らから、いろいろ話を聞いていたため、旧ユーゴの国が、今どのように暮らしているのか?と関心がありました。
クロアチアといえば、90年代、内戦をしていた旧ユーゴスラビアです。私は、以前、オーストラリアに難民移民したセルビア人、カナダに難民移民したクロアチア人、そして、国連の兵士としてボスニアに駐留(同期の兵士は皆、銃弾で亡くなったそうです)したオランダ人の友人がいました。彼らから、いろいろ話を聞いていたため、旧ユーゴの国が、今どのように暮らしているのか?と関心がありました。
クロアチアに来て、感じたのは、クロアチアの人たちが、のどかに平和的に暮らしていることです。
この国は、いい国です。人々は親切だし、人情が豊か。
あの内戦は、「馬鹿げていた」と誰もが言い、今は、またクロアチアもセルビアも仲良くしているそうです。そして、EUに加盟することになったら、またみんな一つになることでしょう。
EU加盟に関しては、民族の伝統と文化が失われて行くことに、懸念を持っているようですが、きっと、経済その他、良くなると願いたいものです。
2009年9月20日日曜日
イスラム
2009年9月16日水曜日
秋ですね
まさきさん、今はどちらにいるのでしょう? 元気ですか?
先週はずっと埼玉県の荒川(中流部)で魚の観察したり捕ったりしてました。
先週早々は夏の陽射しで、水温も20度以上あり、アユやオイカワが活発に泳いでいて、浅瀬でシュノーケルをくわえて魚を観察していると、気持ちよくて水の中で居眠りをしてしまうくらい。
その翌日、同じ場所。一気に気温が下がり、水温もちょっと下がり、風は秋風。いくらウェットスーツを着ていても、水の中にいると身体はどんどん冷えてくる。前日まであれだけたくさん泳いでいた魚の数は一気に減り、投網を打っても捕れる魚の数は減ってしまいました。
「あ、今日から秋になったんだな」そう思いました。
川原では彼岸花も咲き始めていました。
川の中の石にハミ跡(アユがコケを食べたあと)もなく、水生昆虫か何か食っていて、川の水もそれほどきれいとは言えないので、内臓食うのは気が引けるんですが(食ったけど)。でも、自分で捕ったアユは、やっぱり美味いです。
先週はずっと埼玉県の荒川(中流部)で魚の観察したり捕ったりしてました。
先週早々は夏の陽射しで、水温も20度以上あり、アユやオイカワが活発に泳いでいて、浅瀬でシュノーケルをくわえて魚を観察していると、気持ちよくて水の中で居眠りをしてしまうくらい。
その翌日、同じ場所。一気に気温が下がり、水温もちょっと下がり、風は秋風。いくらウェットスーツを着ていても、水の中にいると身体はどんどん冷えてくる。前日まであれだけたくさん泳いでいた魚の数は一気に減り、投網を打っても捕れる魚の数は減ってしまいました。
「あ、今日から秋になったんだな」そう思いました。
川原では彼岸花も咲き始めていました。
川の中の石にハミ跡(アユがコケを食べたあと)もなく、水生昆虫か何か食っていて、川の水もそれほどきれいとは言えないので、内臓食うのは気が引けるんですが(食ったけど)。でも、自分で捕ったアユは、やっぱり美味いです。
2009年9月4日金曜日
2009年8月24日月曜日
イカロスの翼
『イカロスの翼』という歌を知っていますか?
私は、小学校の音楽の時間に習ったのを覚えています。む~か~し、ぎりしゃ~の~、イカロスは~♪ という歌。
父、大工のダイタロスと、息子イカロスは、ミノス王の不興を買い、牢屋に閉じ込められてしまいます。父は、息子を自由の身にするために、窓から落ちてくる鳥の羽を集め、ロウで固めて、飛び立つ羽を作ります。
翼を付け、窓から空高く飛び立ったイカロスは、父の「太陽に向かって飛んではいけない」という忠告を忘れ、空高く太陽に向かって飛んでしまいました。そして、羽を固めていたロウは溶け、イカロスは墜落してしまいます。
その墜落したとされる海は、イーカリア海と名づけられ、その近くの島をイカリア島といいます。
ギリシャ人は、結構頑固なのですが、この島の島民は素朴で優しかったです。
海岸沿いに、天然露天風呂があり、旅の疲れを癒すことができました。
イカロスの神話の海を眺めながら、ゆっくり肩まで温まってきました。この島は、のんびりするには、いい島です。何もない、神話だけが息づく島。観光客もほとんどいません。
私は、小学校の音楽の時間に習ったのを覚えています。む~か~し、ぎりしゃ~の~、イカロスは~♪ という歌。
父、大工のダイタロスと、息子イカロスは、ミノス王の不興を買い、牢屋に閉じ込められてしまいます。父は、息子を自由の身にするために、窓から落ちてくる鳥の羽を集め、ロウで固めて、飛び立つ羽を作ります。
翼を付け、窓から空高く飛び立ったイカロスは、父の「太陽に向かって飛んではいけない」という忠告を忘れ、空高く太陽に向かって飛んでしまいました。そして、羽を固めていたロウは溶け、イカロスは墜落してしまいます。
その墜落したとされる海は、イーカリア海と名づけられ、その近くの島をイカリア島といいます。
ギリシャ人は、結構頑固なのですが、この島の島民は素朴で優しかったです。
海岸沿いに、天然露天風呂があり、旅の疲れを癒すことができました。
イカロスの神話の海を眺めながら、ゆっくり肩まで温まってきました。この島は、のんびりするには、いい島です。何もない、神話だけが息づく島。観光客もほとんどいません。
素朴な漁村
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